作者・景光は、美しい日本刀を作る刀工として有名だが、小龍景光は、景光のなかでも臨一の作と称される。後醍醐天皇による建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍した武将・楠木正成の愛刀だったことから「楠公景光」とも呼ばれる。その正成は、延元元年 (1336) の湊川の合戦で戦死し、小龍景光も行方不明となった。主を失った小龍景光は、その後いかなる遍歴を辿ったのか。 時は下って戦国時代、豊臣秀吉の手に渡り、次いで徳川家康に贈られた。名刀は 名将の間を渡り歩くというが、小龍景光も、ようやく落ち着く場所に辿り着いたと思われた。