豊臣秀吉、もしくは秀頼から、徳川家康におくられたとされる「太閤左文字(たいこうさもんじ)」は、大阪の陣の際には家康の手に渡っていたとされているようです。歴史上においては、徳川秀頼にとって徳川家康は義理の祖父であったとされています。両家は戦国の世を生き抜くなかで、織田の血をも交えながら複雑な両家の関係性を築いていたようです。歴史上におきましては「太閤左文字」も、豊臣と徳川をつなぐための道具の1つであったのかもしれません。優れた刃文としても知られている「太閤左文字」は、その名を「太閤左文字(たいこうさもんじ)」とされたのは、昭和以降だと言われているそうです。それ以前には「じゅらく」として号が与えられていたとされています。