伊賀守二代金道

伊賀守二代金道(いがのかみにだいきんみち)は1600年代に伊賀守を受領した刀工です。

三品派といわれる流派で、金道家二代目は「日本鍛冶宗匠」という称号が与えられています。この権限は朝廷より授けられたものであり、特別です。刀匠の受領手続きの窓口になり、受領名を希望する刀工は全員金道家の弟子という形になり、金道家を経由しなければ朝廷に上奏できない、官職がもらえないというものなのです。

二代伊賀守藤原金道は初代金道の長男にあたります。三品勘兵衛と称します。初代金道のときに正親町天皇の御剣を鍛えたその功労によって菊紋を許されていますが、実際に菊紋を見るのは二代からだと言われています。徳川家四代将軍徳川家綱の「差し習い」のさいの大小の鍛刀も行っており、朝廷、将軍家ともに縁の深い刀工なのかもしれません。

打った刀の中には「退雷」というものがあります。1600年代のある日、丹波篠山城に落雷がありました。その落雷は藩主の寝所に落ちたのですが、二代藩主松平駿河守典信はちょうど天守にいたため難を逃れることができました。

その時寝所に置いてあったのが二代目伊賀守金道が作刀した刀です。この刀は落雷の振動で抜け出していたと言います。当時雷は生き物として考えられていたため、雷は金道の力を恐れ逃げ去ったと伝えられています。

そのような出来事があったため、典信は刀を二代目伊賀守金道のもとへ送り金象嵌を入れさせたと言います。金象嵌とは、溝を彫ってそこに金を埋め込むことです。本人といい打った刀といい、不思議な魅力にあふれていたのではないでしょうか。

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