銀座に画廊あっても「刀廊」なし?当代一流のある骨董屋さんが言うには 「お客さんところへ御茶器とかいろんなものを持っていくと、なかには日本刀を所蔵されていて、こんなものいらないよ、という。そんなものをいただいてきて、今土蔵にしまってあります。昔なら武士の魂と言われ、御刀は最高のものだった。それが現在は逆転してしまった。せとものや何かの名品の方はうんと高いですがね。だから、私は将来日本刀とかは、確かに値段が出る。真価を認められて本の値段に復すると信じているので、自分でお金を出しは買えないけれど、お茶器などを納めたときにむこうから多少の儲けもありますからその下取りに頂いてきて、蔵にしまってあるのです。で皆さんたちにも忠告したいことは、皆さんが扱っているものはその時代に一番尊い、最高の武器ではあったろうけれども、今は立派な美術品だから、もっと自信を持ってやって下さい。刀剣を扱っている方々は文名立派な方々だけども、失礼ながら資金的に骨董屋さんより落ちる方がある。今の骨董屋さんですと、何十億円も持っている方はざらにいるわけです。しかし刀屋では何億という方はざらにいるでしょうけれども、それもあまりはっきりしない。刀屋で資力がないのは刀で儲からないないからです。儲からないから刀屋がいい刀をじっと持っていられない。すぐに売る。したがって利益も少ないといった悪循環を繰り返しているんです。ところが、新画とか、あるいは陶器などは、ついこの間まで安かったものがどんどん値が上がっていく。だから考えてみなさい。銀座というところがある。日本で最高のところで、世界でも銀座は一流のところだと思うけれど、ここに画廊というものがたくさんある。どんどん増えている。それに比べ刀の画廊式のものはないじゃないですか。失礼だけれども、刀剣で銀座とか一流の地に店を構えている方を知らない。私は骨董屋だけれども非常に残念だ。だから一生懸命やって銀座の画廊に対抗するような立派なものを作って下さい。」と、この骨董屋に非常に教えられた。画廊や新画の話をしましたが、それらの営業方法はみな近代的ですよ。ところが刀の方はそうじゃない。私の父は刀屋でね。非常に真面目で、まあ古い皆さん方にもかわいがってもらった人だったんですが、この人はとても慎重な人で、十銭儲けるより一銭損するなというようなことをずっと言ってましたし、実行もしていました。ですから借金なんぞは大嫌い。父には六人様くらいの大事なお客がおりましてね、これがお客と刀屋というふうではないんですね。ほんとうに兄弟以上の付き合い、刀を一本買ってくると六人様のうち一番先にお客さんのところへとんでいく。それが夜中でもです。ところが運悪く皆さんが出張とか、旅行でいないときがある。売れ残ってしまうことがある。その時は父はあきらめて、刀を交換会でいくらか損して打ってしまうというようなことがあったわけですね。父のところへはいろんなお客様がみえる。そうすると父は六人のお客さまには非常に誠心誠意い、夜中でも来いと言われればとんで行くんですが、それ以外の方にはうちに刀はないよ、他の店に行きなさい、というような調子で、剣もほろろなんです。それでうちのおふくろや私なども「お父さん、皆さんお客ですよ」というのですが、「いやいや私のところには六人お客様がいて、もうそれでのんびりと食っていけるから結構である」、というんですね。私は何もわかっていなかったんですが、年間多額の金額で買って下さる方も少額の購入の方もお客に変わりはないじゃないか。じゃうちの父親とは正反対をやってやろうと子供心にも思いました。昭和十四年に刀剣の商店に入門をして、研ぎのほうをやらないで、販売の方を専門にやったわけです。でその時にお店に来られるお客さんというのが、本当に皆大衆なんですね。この店にもうちの父がやっていたようなお客様も多々いらっしゃいましたけれども、いわば大衆的なお客様がお客様が多かった。たとえば当時安価な短刀と言われても「はい、はい」といってですね、一生懸命見つける。で私は父とは逆な方向にいって申し訳ないんだけれども、よしここで大いに修行をして頑張りました。